つくたま塾「山形県金山『街並みづくり100年計画』」の報告

◎日時:2022年6月28日(火)19:00~21:00

◎講師:片山和俊さん(東京藝術大学名誉教授、建築家)

◎参加者:**名

◎場所:浦和コミュニティセンター 第8集会室とオンラインのハイブリッド開催

◎タイトル:「杉のふるさと・雪のふるさと・木のすまい 山形県金山「街並みづくり100年計画」」

東京藝術大学名誉教授・片山氏は建築家・プランナーとして、山形県金山町のまちづくりに40年以上関わってこられた。近年2冊の本をまとめられた。きれいな挿絵や写真が満載の「まちづくり解剖図鑑」と「金山町―中心地区―街並みづくり100年計画」である。町域の多くを占める森林から産出される「金山杉」と、金山大工による白壁を用いた住宅、また「水清き町金山」のシンボルである大堰などのある町である。明治の初めに東北地方を旅したイザベラ・バードが、紀行文の中でピラミッド型の3山の遠望と暖かいもてなしを賛美している。

 

美しい山並みと街並みの広がる地域で、片山氏らもその風景に一目ぼれをしたようだ。その思いを建築家・プランナーとして関わり、まとめたのが1984年に策定した「街並みづくり100年計画・地域住宅計画(HOPE計画)」。この報告書はその後の指針となり長い年月を掛けて一貫して行ってきた街並みづくりが行われた。それが高く評価され、日本建築学会賞(業績)や土木学会デザイン賞最優秀賞などを受賞している。

つくたま塾では、計画の立て方とそれらを実現していった経緯など、これからのまちづくりの直面する課題をどう考えているのか、片山さんにお話を聞いた。

金山町の現在の人口は約5200人、計画が着手された1980年ごろは約8000人。町を取り巻く環境も大きく変わってきた。これまでの成果をお聞きして、私たちも直面している時代の変革を考えるヒントを得たい。挿入されている図等は当日のパワーポイントから適宜抽出した。

なお、今回のつくたま塾は、ハイブリット方式で行った。活発な質疑応答がなされた。最後に片山氏が、学生の教育を大学でやってきたが、金山町でのまちづくりの教育は十分ではなかったかも知れないという趣旨の言葉が耳に残った。(文責:若林祥文)

 

【要旨】

0.山形県金山町は内陸部に位置する。1963年頃に町は「全町美化運動」を始め、1981年から金山町住宅建築コンクール*1が動き出した。

 

1.街並みづくりの歩みをふりかえる

HOPE計画が1984年に始まる。建築家の林寛治氏、都市プランナーの住吉氏、その間をつなぐ片山氏の3人がチームを作り、計画のさらなる進化と具体的な街づくり場面での展開を支えてきた。全町美化運動は住民自ら考え、みんなが参加できること。まちなみづくり100年運動として住民たちのペースで進め、観光を目指すのではなく住民たちの生活環境を快適にすることを目指す。まず「地」をつくることを目標として始めた。背景の自然を生かし、住宅という個々の点的要素が集合して、市街地や町という面をつくる。始めてから暫くは何も変わらないように見えたが、15年位経って屋根や外壁が揃うなどの成果が街並みが見えてきた。100年計画とは、全住宅約2000戸に対して毎年20戸建て替えや新築されて100年経った時に、結果として全町の街並み景観が、風景と調和し金山らしさを保った家並みに整えられるという考えである。

 

2.計画の考え方

街並みづくりと金山杉・金山大工を結び付け、自然と歴史の風景の継承を図る。

 

3.計画の立案

車の両輪としての、金山町住宅建築コンクール(1981年)と金山町風景と調和する 街並み景観条例(1985年)によって、金山の自然と歴史に調和した風景を作り上げていく仕組みを整えた。

住宅建築コンクールは金山住宅の普及と金山大工の技術向上を目指し、金山町商工会が運営してきている。

 

4.計画の役割

在来工法の金山住宅は金山大工による切妻屋根と漆喰仕上げの真壁造であり、特有の風景を作り上げてきた。景観条例はそれを基本としている。金山杉と金山大工による家づくりに拘る理由は、地域循環的な経済効果があると考えられるから。これまでの景観助成金を統計的にみると、1986年度~2018年度、助成金の累計は2億5千万円、その間の建築費累計は95億4千万円であり、そのことから地域経済振興に景観条例の効果があったと考えている。

しかし、近年実際に家を作る若い世代の住宅への嗜好は大きく変わってきている。テレビやネットでの住宅メーカー等のデザインが好まれて家をつくることが多くなり、金山杉と金山大工による金山住宅を採用しない傾向が強くなっている。また、建築構造や省エネ基準の厳格化などにより、これまで蓄積され、景観を形成してきた雪国では便利な高基礎(下を駐車スペースや倉庫に使える)や真壁を基本とした外壁仕様が難しくなって、従来の金山住宅が作りにくくなってしまっている。

 

5.中心地区の公共施設整備

小中学校、診療所、役場庁舎など公共建築物については、自然と歴史豊かな町に合った優れたデザインで進められてきた(林寛治氏設計が多い)。金山町葬祭場は益子義弘氏による設計だが、片山氏自らもここで葬儀をしてもらいたいという。

町中心部を流れる金山川には、十日町地区と羽場地区を結ぶ屋根付き歩道橋「きごころ橋」が整備され、片山氏が担当した。またマルコ蔵では、林寛治氏と共同で、昔の蔵の改修とともに、広場にL字型に回廊を設け、丸太を縦にスライスして曲げてダボ止めしたアーチ架構を実現した。いずれも金山杉と金山大工の技を用いることが求められ、伝統木構造に詳しい構造設計の増田一眞氏に協力してもらった。

 

6.中心地区のリノベーション・中心地区マスタープランと“水と緑の小径ネットワーク”の創出

裏道にあたる町道の道路整備では、用水路を自然石で積み直し、小さな植栽を施すなど、昔の農道らしさを作り出している。またその整備にあたっては、一部で町道の線形を変えて、接する乱雑な民家裏側の修景を意図して植栽を工夫するなど、きめ細かく実施してきている。

更に中心地区で重要な場所に空き地や空き家が発生した際には、そのまま放置せず、その度にリノベーション(再構築)や公園化をしてきている。

岸家前蔵2棟は、小さな公共施設としての藏史館と商工会事務所に、旧郵便局舎は実測して(当時の東京芸大片山研による)、旧来の姿を守りながら建て替え、来訪者への情報提供コーナーと女性によるまちづくり工房からなる「交流サロン・ぱすと」として整備している。

また空き地は、八幡公園では隣接する八幡神社沿いに農業用水を利用して新たに池設け、続く藏史館前広場では、接する十日町通りの町並みの連続性を保つようにバス停を兼ねた休憩所を設けている。

町のシンボルである大堰の脇の空き地を活用した「大堰公園」では、元ここにあった医院の池を拡大して中心に据え、農家住宅の一部を利用して休憩所として残すなど、住民の生活文化の歴史を継承するような園地計画としている。

更に中心地区の中心にある旧西田家は、母屋が解体された空き地と2棟の蔵が長い間残されたままになっていた。そこを交流施設「マルコの蔵・広場」として、リノベーション(再構築)を実施した。マルコとは西田家の屋号〇に小からとったもので、母屋跡の空き地は町の中心に相応しいL字型回廊付きの広場とし、いつでも町民が気楽に立ち寄れ、朝市や様々なイベントに活用できるような整備を行った。

このような古民家の再利用や空き地を公園化する中で、共通して行ってきた計画は、それぞれの施設の中に“水と緑の小径”の種子を入れ込むことであった。その結果それぞれの計画が出来上がった時に、地区全体に“水と緑の小径ネットワーク”の広がりが生まれた。

 

7.町づくり100年計画のハードル・・・次世代への継承の試み

計画の前提になっていたことが今大きく変わりつつある。歴代の町長らはまちづくりの方針を着実に受け継いで発展させてきた。しかし、これまでとは違った潮流が流れ始めている。日本のどこの町にでも起きている人口減少・高齢化、世代交代によるニーズの変化などが金山町でも起きていて、その波を受けて、町内の中心エリア以外の外縁部に当たる山間地域の再評価や、集落の調査を行うなどと共に、若い世代の人たちに託す試みを始めている。一方、既に工事が進んでいる高規格道路による広域的交通網体系へ対応するために、周辺市町村の特徴的な地区を結ぶ「みちくさ連担計画」の提案など、直面する課題への対応が必要となってきている。林・片山・住吉をはじめ、これまで街並みづくりに関わってきた役場担当者や大工たちの高齢化もあり、町役場の若手職員を対象として、景観アクションプログラムを作成して、こうした課題への取り組みを始めている。コロナ感染拡大の影響と重なり遅れがちだが、毎年方法を模索しながら進めてきている。*3

 

参考:金山町役場のHPから関連事項の記載部分を抜粋した。

*1.「昭和53年から実施している住宅建築コンクールは、金山型住宅の普及と金山大工(職人)の技術の向上を目的として始められましたが、平成4年度からは、応募された住宅と周囲の環境・景観についても審査を行っています。

また、このコンクールは、「金山町地域住宅計画(HOPE計画)」や「金山町街並み景観条例」の主目的である『金山型住宅による家並みづくり』の基礎になっており、美しい景観づくりの展開過程の基礎づくりから概念づくりまでの「橋渡し的施策」として位置づけられています。

当初、このコンクールは、町が主催しておりましたが、現在は、金山町商工会に委託しており、応募条件及び審査基準については、毎年、要綱で定めています。

基本的には、最上地域(1市4町3村)に建築された住宅で、金山町民もしくは金山の工務店等に勤務している人が建てたものを応募対象としています。審査は、応募者自身の自主審査(第1次審査)を経て応募されたものについて、配置及び平面計画、素材の選択、技術、仕上げ、形、色彩等について100点満点の減点方式で評価されます。

その結果、最優秀賞、優秀賞、優良賞、佳作、入選、特別賞、部門賞が決まり、施主と大工が表彰されます。なお、審査委員は、林業関係者、建築関係者、経済団体関係者、一般町民、街並み景観審議会専門委員等で構成されております。」

 

*2. 「当町の美しい景観づくりは、昭和30年代から町民と行政が一体となって築き上げてきた歴史があり、その節目として昭和61年3月に条例第2号「金山町街並み景観条例」が誕生しました。

条例では、「個性豊かな街並みづくり」、「自然の美観の維持及び増進」、「新しい街並みづくり」、「快適な町づくり」、「誇りのもてる町づくり」という5つの柱を掲げています。

また、町内で建築行為を行おうとする者は、町に届け出をしなければならないとしておりますが、罰則規定はなく、内容としては助成、援助、指導、助言といった支援的な性格を有しています。

町では、条例に基づく助成金制度を設けており、形成基準に合致した建築をすれば、最大80万円の助成金を交付しています。形成基準は、当町に古くから残っている住宅を基本として作成されており、美しい街並みの保存と新しく美しい街並みをつくることを目的としています。

この基準は、平成8年度に改正され、基本理念に「町全体を風景としてとらえ、周囲の自然や歴史的資産が美しく見え、かつ住民が住みやすく、風景と調和する美しい町を形成する」と掲げ、古くから当町が持ち続けてきた美しい風景と個性豊かな街並みを、より美しく誇り高い郷土につくり上げることを決意するものとなっております。

平成25年4月に「金山町の風景と調和した街並み景観条例」に改正されました。」

 

*3.「景観アクションプログラム第2ステージ」

「金山町は昭和38年の「全町美化運動」、昭和59年の「街並み(景観)づくり100年運動」の提唱から一貫して金山型住宅と美しい自然が織りなす街づくりを進めてきました。

金山町景観アクションプログラムは、100年運動の実践から35年以上が経過した今、多様化した社会情勢や価値観の変容の中で、町民の主体的な参加による景観運動の企画や実践により、未来に引き継ぐべき美しい景観の整備、町民としてのアイデンティティの醸成、金山の地域社会の将来を担う「次世代のリーダー」の育成を目指すものです。

金山町景観アクションプログラムは、金山町役場の若手職員や町内の設計士、商店の経営者などの有志が参加しており、テーマごとに8つの分科会で構成されています。

A〜D分科会では第1ステージ(100年運動提唱からの35年間)で取り組んできた景観整備、地域構想の点検及び継続、次世代型金山住宅の開発などに取り組みます。

E〜H分科会では、若手人材を中心として新たに取り組む地域構想、文化構想、産業構想の制作などについて取組みます。」

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