1月つくたま塾「さいたまトリエンナーレ2016を振り返り、これからのさいたま市におけるアートとまちづくりを展望する」の報告

つくたま塾 2017年1月27日 19時~21時00分の記録

◎講師:森真理子さん(さいたまトリエンナーレ2016プロジェクトディレクター、一般社団法人torindo代表理事/まいづるRBディレクター、アートNPOリンク理事)

◎参加者:43名

◎場所:浦和コミュニティセンター第13集会室

◎タイトル:「さいたまトリエンナーレ2016を振り返り、これからのさいたま市におけるアートとまちづくりを展望する」

1.さいたまトリエンナーレ2016レビュー(森真理子さん担当プロジェクトより)

■アーティスト:ユン・ハンソル(演出家)サイタマ・フロンテージ

・東武鉄道アーバンパークラインを動く車両と通り過ぎる沿線空間で展開された演劇。・韓国の作家にした理由は、日本人アーティストのアプローチにはパターンがあるような感じがし、新鮮な手法や出会いに期待した。

アーバンクライン線は横のラインであり、牧歌的風景、どこにでもある郊外の風景。さいたまと東京との関係(都心部と郊外の関係)。都市のアイデンティティをストレートに表現した。

・エキストラについては、市民参加の可能性を打診し、その後、演出家から100名のエキストラを出したいということになった。多くの人を巻き込むということは演劇という手法に合っているとも言える。

エキストラやスタッフが一緒に楽しむという主体性がないとできない。鉄道という場が劇場になった以上、観客も演じ手も当然巻き込まれる。それを逆手に取った(特性を生かした)作品。

 

■アーティスト:JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)

・相撲を愛する3人の作曲家たちが、さいたまでリサーチをし、岩槻の古式土俵入りに出会う。相撲の“触れ太鼓”や“土俵入り”という特性を活かしたパフォーマンスを演出。作曲家たちがユニット「JACSHA」を結成し、リサーチやワークショップを積み重ねて、岩槻の街を練り歩き、相撲と音楽を切り口にして地域の人たちと積極的に関わりあった。

 

■アーティスト:大友良英+アジア・ミュージック・ネットワーク

・大宮小学校とのコラボ。地元のせせらぎコンサートの協力。

大友さんはプロじゃない人との共演が面白い、と。例えば、10年ほど前知的障碍者の人と「音遊び」の最中、楽器の音などではなく、部屋の換気扇の音に反応する子がいたり、「自分たちの文脈」があるということだった。社会の中ではなかなか受け入れられない文脈だが、音楽では許される。「そう気づいたときに、自分が知っている世界だけじゃないところの価値観に、扉を開けてもらった」と振り返る。

そして「自分も違う文脈のところにも行けるようにしたい」。一週間の集中したイベント後に、ワークショップとトーク&ライブ。大宮小学校の小学生たちとのコラボ、参加者たちにもフィードバックされ、普段とは違う学び、経験の場ができた。

・大友さんAMNの音楽的要素、目指そうとするもの、実験的要素の高い音楽。クオリティとそれをどう体験、経験させるかのせめぎ合いがあった。

 

■アーティスト:長島確+やじるしのチーム

・長島確さんは演劇の発想やノウハウを劇場外で展開する。まちとフィクションを重ね合わせる。そこからさいたまのリサーチへ。色々なテーマが語られていった。

・劇作家太田省吾さんの「←」という戯曲に行き着き、さいたま市内に登録108の←、実際には150以上が展開した。学校、住宅、商店街、カフェ、お店。さいたまの風景を写真に収めていく。全地域的、参加者それぞれの個性や場所性が見えてくる。作家からの枠組みで、あとは、参加者と共犯者的にそれぞれの表現に委ねられている。

・やじるしのチームの人達のリサーチ力、何度もさいたまへ通い、通常の芸術祭のPRでは届かないようなところへもアプローチした。

■アーティスト:オクイ・ララ

・さいたまの人にアプローチした作家。多文化共生の市民活動団体「てんきりん」との出会い、さいたまで生活する外国人を取り上げた。週一回のワークショップを重ねる。代表の方への説明、出演の依頼。オクイのやりたいこと、一緒に何ができるか、という説明を繰り返した。母語や故郷(家)を語り合う。そこから見えてくる違いや共通点。多文化、多世代の交流を促進する。

・オクイの作品でありながら、「てんきりん」のプレゼンの場でもある。

■アーティスト・オン・サイト

・アーティストと現場(社会)との出会い。双方にその意識、希望、課題があるところのマッチング。社会福祉協議会(2施設)でのワークショップと発表会。アーティストが一人一人の個性や癖のようなものを見つけて引き出していく。普段注目されにくい部分に光をあてること。アーティストにとっても挑戦である。

双方にとってこれまでの文脈やルールが通じない物事との出会い。

2.アート・プロジェクトを通じて見えてきたもの。

(1)アートとまちづくりの親和性 ~なぜ、“アート”か?

★アート・プロジェクトの特徴

・鑑賞者から当事者への立場の転換であり、制作/創作のプロセスを重視する。プロセスに様々な要素を受け入れる余地がある。プロジェクトが実施される場やその社会的状況に応じた活動を行う。

「サイト・スペシフィック」な活動。その場所に固有の時間や物語、歴史が存在する。その土地にいる/くる人々の特性を生かすことができる。

・継続的、長期的な展開、さまざまな属性の人びとが関わるコラボレーションやそれを誘発するコミュニケーション。

・他のジャンルと結びつく柔軟性、横断性がある。たとえば、アート×観光、アート×福祉、アート×教育・・・

(2)アートとまちづくりの親和性 ~“まちづくり”とは何か?

★まいづるRBでの活動(京都府舞鶴市) [2009~2016]

・まちや人と関わりながらの作品づくり。ものの見方や考え方の尺度を問い直してきた。自治体や企業、事業所との連携を図りながら、アーティストや地域住民とのさまざまな価値を共有し、新たな価値・文化を生む。

・“フラット”な場や時間を共有する (プラットホーム、社会包摂機能)。

(3)アートとまちづくりの落とし穴?昨今の批評的視点。

全国で数多くの芸術祭やアート・プロジェクトが行われるようになって久しい今日、様々な批評家や学者等がいくつかの批評的な視点を提示している。それらを参照しつつ、森真理子さんが現場の経験から感じること、プロジェクトを実施する上で留意すべきと考える点を述べていただいた。

<まち>

・「まち」とは何か?なにを対象にした活動なのか?地方と中央の関係性、都市/郊外/田舎のあり方が変容している。

<制度と批評>

・制度等によって作られていく“言説”と“現実”との乖離。アートが制度やそれに伴う規制の中で制約を受けているのではないか?アートと地域振興の関係”が安易な全体主義へと結びつかないか?

・”屈託のない、善意で社会に貢献するもの“を肯定せざるをえない。

<アート>

・“アート”の多様性に目を向ける必要がある。芸術分野での位置付け。毒にも薬にもなるアート/アーティストをどう使うのか?市民参加の多様なあり方。ボランティアはただの労働力か?市民活動にアーティストが介入/先導する必要があるのか?

3.社会におけるアート/アート活動の可能性

★アーティストの社会や時代を読み解く/嗅ぎ分ける能力、それらを表現として変換する能力

★個人の自由、表現の自由が最大限に許されるジャンル

・あらかじめ学ぶべき事柄や回答、ルールがあるわけではない。

・主体的にそれぞれの経験や表現を獲得してくことができる。アートそのものが、常に革新し続ける存在であり、   社会を変容、革新する力を持っている。

 

【会場の様子】

・普段の塾とは参加者が違った。トリエンナーレのサポーターたちが多数来てくれた。まだ、彼ら・彼女たちは熱い余韻を保っている。森さんもそれに応えるように時間一杯までお話をしてくれた。さいたまトリエンナーレを振り返るにはもう少し時間が必要なのかもしれない。(文責:若林祥文)

 


※つくたま塾で紹介された資料やサイトなど

ドイツには「まちづくり」という言葉などない|東洋経済
https://toyokeizai.net/articles/-/155001

さいたまトリエンナーレ2016公式カタログ|amazon.co.jp
https://amzn.to/2jlL4Ko

「地域アート」藤田直哉著|amazon.co.jp
https://amzn.to/2kaFaA7

郊外の絶望から、文化が生まれる|あしたの郊外|都築響一
https://ashitanokougai.com/column03/

MAIZURU RB
https://www.maizuru-rb.jp/

時間旅行博物館
https://timetravelmuseum.jp/

さいトリ未来会議|さいたまトリエンナーレ2016サポータ企画
https://www.facebook.com/events/231371673987457/

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