4月つくたま塾「埼玉の近代建築の面白さ」の報告

つくたま塾 2015年4月17日 19時~21時00分の記録

◎講師:若林祥文さん(建築散歩人、NPO法人都市づくりNPOさいたま理事)

◎参加者:12名

◎場所:さいたま市生涯学習総合センター・講座室1

◎タイトル:「埼玉の近代建築の面白さ」

配布資料:こちら(PDFファイル、553KB)

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[講義の様子]

埼玉県庁が発行した「埼玉モダンたてもの散歩」が大変好評で、埼玉ってこんなに面白いところが多いのかというご感想をいただいています。この冊子の編集に携わり、引き続いて、近代建築を巡って県内外を歩いていますので、本日はそのお話をさせていただきます。とにかく見ていただければよいと思うのですが、お話しますので、多少、理屈を考えてみました。

○近代建築とは、
・この本では「モダンたてもの」を近代建築として捉えていますが、厳密な定義はありません。収録したものには、明治期以降、平成のたてものもあります。それでもこの本では、明治以降から昭和初期まで建築されたもの一応大まかですが捉えています。キーワードは、擬洋風建築、アールデコ、洋館付住宅、近代和風建築などがあげられます。

1 日本における「近代」の意味
多くの建物を訪ねてみて感じたことは、日本や埼玉の「近代」という時代感覚です。
江戸末期から明治維新前後の圧倒的な西洋の大きさに打ちのめされていたときから、しばらくして「和魂洋才」という相対的な視点が生まれてきました。このころ、建築で見ると、擬洋風の建物が文明開化として各地に建てられた。当時から頻繁に行われた天皇の行幸は各地に「近代」をデモンストレーションしたイベントだったわけです。
・地方や庶民のレベルでは、従来の和風建築や擬洋風から近代和風(洋館付住宅など)への推移としてみることが出来ます。
ただし、擬洋風を単なる西洋建築物の出来の悪い物まねとしてとらえるのではなく、見よう見まねであっても、新たな建築形態として受け止めた積極的な精神と高い技術力を評価したい。本庄の旧本庄警察署は擬洋風建築の代表例ですが、ベランダのギリシアの列柱は木製です。同じく、本庄の諸井家住宅はベランダの天井裏をラチス張りにしたり、居間の壁が不思議なディテールをしています。越谷市大間々の旧中村家住宅は明治の中ごろの建築ですが、一見、庄屋風の純和風建築に見えます。しかし、室内はガラス戸が多用されており、光が充ちています。明治の明るさが表現されています。
嵐山にある旧日赤社屋は、県庁の北側にありましたが、幸いに移築されて、小学校として、現在は幼稚園の一部として使われて、子どもたちの遊ぶ姿に似合う素敵な建物です。ただ、なぜこの建物の後ろ部分の開放通路は長崎のグラバー邸のようなベランダ建築なのかが分かりません。
・余談になりますが、各地にできた銀行の設立経緯を探ってみると、蚕・絹産業系のものと商業系のものがあるようです。銀行では、行田にある旧忍商業銀行がデザイン的には良いと思いますし、旧吉田町にある旧武毛銀行の建物も好きな建物です。
・公式的な建物を西洋風の様式で建て、私の生活を和風の住宅で過ごすという生活スタイルが近代日本国民の理想的な姿であったようです。
役所、銀行、学校、病院医院、興行場、お店、工場などの用途で、西洋的なデザインの導入は異なりますが、デザインの2面性(西洋的な雰囲気、和風)を認めることができます。
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2 たてものは「明治」「大正」「昭和」という新たな時代の精神、空気を表している。
・明治は西洋文化の吸収に燃えていた精神。大工左官などの技術や工夫が伝統的な建物形式を踏襲しながらも、洗練されていきました。河岸記念館の旧福田家は、新河岸川の数多くある河岸のなかでは後進の河岸でしたが、御当主の星野氏が大変な実力者であった。この三階建て部分は離れですが、三階の座敷からは筑波山や富士山、関東平野が一望できます。ここで飲む酒はおいしかったと思います。階段には色ガラスも使われおり、一階の風呂場とされている天井の細工は繊細です。
・中間階層の増大と大正デモクラシーに代表される近代的な都市文化の誕生ですが、東松谷にある堀家は当時流行していた雑誌を参考にして建てられました。職人は東京で修行してきた方だそうです。洋館付住宅として、門柱の大谷石も含めて、良い建物です。
この時代は、ちょっと洋式化した生活スタイルが普及しだし、大工左官などの技術が一斉に花開いていったようです。秩父市の銘仙館は埼玉県の旧繊維試験場でしたが、建物が出来た経緯は地元の織物業者がお金を出し合って、建築し、県に寄付しました。建築にあたり、地元の建設業の方にお願いし、その業者は東京の帝国ホテルを見に行って、勉強したと言われています。ちょっと、デザインのアンバランスさもありますが、建具なども丁寧で、また、のこぎり屋根の工場棟もよいです。
外国からの情報、東京・大阪などの大都市の姿や生活改善運動の高まりが報道されたり、出版されたりして、広まっていきました。アールデコなどのデザインが華やいで全国的に普及していきました。旧岩槻警察署や旧草加小学校にもそうした影響が見られます。
・昭和の前半には、関東大地震後に現れた看板建築やスクラッチタイルなどが全国的に
普及しました。都市内の道路などの整備と併せて、地域の街角に庶民の新しい建築様式が出現していきました。不景気な世相の中でも地域のお大尽が職を失った職人たちに仕事を作る「お助け普請」を意図した民間の贅沢な建築が行われました。この時期の建物は目を見張るものがあります。深谷の大谷家や川島の遠山記念館の建築はそうした目的もあったようです。

3 冊子「埼玉モダンたてもの散歩」にみる建築物の特徴
●人を招いて、もてなしことは素晴らしい建物を建築する大きな目的です。たとえば、
・3階建て建物でもてなす。3階部分にはちょっと驚くような仕掛けがあります。河岸念館、川口の田中邸の3階は白い基調の部屋で光が一杯です。彩々亭のは天井が空をイメージしています。
・座敷でもてなす:平沼邸は山林地主の建てた住宅ですが、増築した座敷からは名栗渓谷の険峻な山々が見えます。遠山記念館と大谷邸は別格とも言える多様なしつらえをしています。大谷家の2階部分の和風、洋風の座敷は面白いです。
・数寄をこらしたたてものでは、松永耳庵が建築した新座の睡足軒と所沢の柳瀬荘が大変面白です。わざわざ飛騨や奈良から取り寄せた由緒があったりなかったりした古材を利用して、その変容を楽しむたてものです。遠山記念館の母の館部分にあるいくつかの茶室にもしゃれとも言えるよそおいがあります。
その他、用途ごとに分類してみて、面白い建物をいくつか挙げてみます。
●銀行建築:武蔵野銀行行田支店、埼玉りそな銀行川越支店、旧武毛銀行、旧中井銀行
●公共建築:旧本庄警察署、旧草加小学校、旧岩槻警察署、深谷商業高校、松山高校
●商店、看板建築
●医院建築:中澤医院、松本医院、片山医院、(昭和クリニック)、・・・

4 建物・まち歩きを一層味わうために、
●県内各地で活動しているまちづくり団体にコンタクトを取って、教えてもらうとより深い楽しみが得られます。
たとえば、
・NPO法人 秩父まちづくり工房
・NPO法人 深谷にぎわい工房、一般社団法人まち遺し
・NPO法人 ぎょうだ足袋蔵ネットワーク
・本庄まちネット
・NPO法人 日光街道幸手宿を感じる会
・旧日光街道・越ケ谷宿を考える会
・NPO法人 川越蔵の会
・埼玉県建築事務所協会
・NPO法人木犀
・飯能 吾野宿

・まち歩きのガイド団体が各地で活動しているので、初回にいろいろと案内をしてもらうとよいと思いますし、各地は現在観光に力を入れているので、そこから入ってみるとよいと思います。
・たとえば、春日部駅東口の商店のシャッター絵を楽しむツアーを地元の商業団体が開催していますが、面白いです。

●迎えてくれる古建築を訪ねたい。
・時を経た建物は維持するのが大変だが、先祖のものを受け継ぎ、伝えていく持ち主たちのご苦労や楽しさに耳を傾けてみたいです。ご本人たちは古臭いと思ったりしていますが、丁寧に見せていただくことが残る可能性を開いていくと思うのです。
・個人の財産であると同時に地域の財産であることをもっと支援する体制が必要だと痛感します。

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