7月つくたま塾「『危機に瀕する見沼たんぼ地域の斜面林』と未来遺産・見沼たんぼプロジェクトの展開」の報告

つくたま塾 2017年7月26日(水) 19時~21時00分の記録

◎講師:北原典夫さん(ユネスコ未来遺産見沼田んぼプロジェクト推進委員会・事務局長)

◎参加者:12名

◎場所:さいたま市生涯学習総合センター 学習室2
(シーノ大宮・センタービル9F)

◎タイトル:「『危機に瀕する見沼たんぼ地域の斜面林』と未来遺産・見沼たんぼプロジェクトの展開」

 塾では、北原氏が見沼田圃の奥東京湾のころからの歴史、戦後の見沼田んぼに関する開発保全を巡る様々な経緯、喫緊の課題である斜面林の保全活動状況についても触れていただいた。首都圏近郊にある大規模な田園空間の維持については異論がないであろうが、農地・緑地を管理する担い手、生物多様性を保持するための自然環境の維持方法、点在する負の遺産への対応など、様々な意見・取り組みなど課題も多い。講師からは100年後を見据えた未来遺産プロジェクトの展開も提言された。

当日はパワーポイントで充実した内容を説明していただいた。参加者は15人程度であり、活発な質問や意見交換ができた。そして、意見を表明しながら、活動をしていく市民団体としての姿勢が随所にうかがえた。

 

〇未来遺産・見沼たんぼプロジェクトの展開

日本ユネスコ協会が進めているプロジェクト未来遺産に4年間運動して採択された。

*HPから未来遺産プロジェクトについて抄録した。:

「・地域の文化・自然遺産を未来に伝える市民の活動を応援する「プロジェクト未来遺産」

・未来の子供たちに伝え・遺したい。100年後の子どもたちに長い歴史と伝統のもとで豊かに培われてきた地域の文化・自然遺産を伝えるための運動です。」

 

〇・首都圏の中の大規模な田園緑地の価値

・3000万人が住む首都近郊20~30kmに3000haの大地が広がる。

・埼玉県内で見れば、さいたま市・川口市の200万人都市の中の大規模緑地だ。

・「農地としての利用」が基本の「田園型の緑地空間」である。

 

〇見沼たんぼの歴史は、縄文時代 波静かな奥東京湾の入江であった頃から始まる。大宮台地の縁に沿って散在する貝塚、馬場小室山遺跡などさいたま市の埋蔵文化財の宝庫である。

・弥生時代になり、現代に伝わる様々な伝説や信仰が生まれてきた。龍神信仰の地・御沼

・江戸時代初期家光の時代に「見沼溜井」で下流の村々の用水を供給した。まず、八丁堤を築造し溜池をつくった。現在の足立区や川口市などの約221か村に用水を100年間供給した。しかし、大きな水源がない平地内の溜池のために、水量の確保や日照り・大雨時の管理には大変苦労した。水をめぐる争いもあった。

・江戸時代中期 吉宗の時代に、紀州藩から召し出された井澤弥惣衛為永が、溜井の下流地域での水田耕作が休止する秋から春先までの6か月間で60kmの見沼代用水を建設し、現在の見沼田んぼが創出された。

・見沼代用水を利用する通船事業によって江戸と流域を結ぶ物資流通が盛んになり、地域の振興が図られた。水位の落差を乗り越える見沼通船掘が幕府によって建設された。民間事業者に通常時の用水管理を任されており、運河利用の料金などを徴収し、管理運営費を生み出していた。

・食料不足が基調の時代にあり、大切な米どころを形成していった。

  • 戦後、東京圏の拡大、見沼田んぼへの開発の進出が進み、治水機能=見沼地域の遊水機能保全が求められた。見沼三原則による開発規制を開始した。

・昭和40年当時は、経済成長路線=開発優先の時代であったが、栗原県知事は開発抑制の決断を複合的な意図や方法で行った。下流の川口地域からの強い開発抑制要望に対して、上流の見沼地域の開発志向があり、知事は自ら見沼三原則=見沼田圃農地転用方針を提案し、実施した。栗原県政下では見沼田んぼ内を区分して一部地域で開発を容認したり、都市開発構想を検討したりしたが、巧みな県政運営により三原則は堅持された。

・畑県政では地元農協の組合長らの強い都市開発意欲を基にゴルフ場などが検討されたが、自然保護団体・市民団体から強い開発反対・保全運動が起こり、10年にわたる緊張感があった。

・土屋県政では一転して、保全方向に向かい、三原則の見直しをして「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針の合意」が農家団体や地元議会等の検討を経て、制定された。128億円の農地買取等の保全基金が県、浦和市、大宮市、川口市により創設された。

・首都圏の緑地整備計画においても保全すべき大規模緑地として位置付けられた。

  • 見沼たんぼの現状:さいたま市では、農業振興ビジョンを作成し、地産地消=直売型の野菜・花卉・植木・造園などの多品種生産を進めている。都市近郊部の農地のためもあり、耕作放棄地や残土埋め立てによる荒れ地化も目立つ。しかし、荒れ地は、平成13年の105haがピークであったが、その後、畑としての利用が増えて、荒地は減少してきている。

・基金による買い上げ等の農地は20haを超えており、市民団体や農家に貸し付けられて、「農」を学ぶ場づくりなどになっている。それに伴い高齢化する農家への都市住民らの援農活動も増えている。

・さいたま市では、荒れ地化した新都心東地区で、合併記念公園で、「セントラルパーク計画」の第一期分として整備した。更に、その南側の地区で、第二期計画として、首都圏の防災基地公園としての整備を進めている。

・市民団体としても、北袋・大原地区で、さらなる第三期整備計画を提案していきたい。

 

〇危機的状況にある斜面林

・そうした現状において、見沼田んぼを取り囲む斜面林の減少が急速に進んでいる。

  • 5年間で消滅した斜面林等は、市民団体が現地調査をした結果、14か所、5.6ha。

・2016年10月から11月の調査によると100か所53.7haがある。

・斜面林には「保全力」のあるものと保全力の乏しいものがあり、何の位置づけももたない斜面林やふつうの屋敷林は保全力に乏しい。

・斜面林の保全は、生物多様性の存立基盤であり、歴史的・文化的景観と風致の保持のため、未来に遺していくことが必要である。

 

・「斜面林保全のための制度の整備をしたい。」

保全のために見沼田圃の公有地化基金によって斜面林も対象にしてほしい要望を上田知事やさいたま市長などに行っている。上田知事からは基金を斜面林保全に利用することについての前向きな回答をいただいた。

(文責:若林)

 

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